酒は人の歴史が始まる前から存在した飲み物なんですよ。
糖分の多い果物は自然に発酵して酒になるからです。
人も果物がたくさん採れた時に、袋に入れておいたら、酒になっていた! なんてびっくり体験をしつつ、酒を覚えていったのでしょう。
前4000年のメソポタミアやエジプトでは既にビールを造っていたようです。
これは、麦の穂に水がつき、芽が出てしまったのをお粥にしておいたら、発酵してビールになったのが始まりなどと言われています。
酒は飲んで気分が良くなるだけでなく、病人の気つけ薬にもなり、殺菌作用もあります。
浄める意味と、飲んで陶酔感を得るために、宗教儀式にも使われてきました。
酒は糖分が酵母によってアルコールに分解されてできます。
だから、糖分の少ない木の実や果実からは酒ができませんでした。
しかし、考えたものです。口で嚼むと、だ液に含まれるデンプン分解酵素アミラーゼが、デンプン質をブドウ糖に変えてしまうのです。
これで酒になります。猿酒などとも言います。
ごくごく偶然に猿も酒を飲んだりするのでしょうね。 米作が始まると、米が一番美味しい酒になることも分かりました。
でも、口に入れてから出すのは、あまりイメージが良くないですね。
それで、嚼む人は女性、しかもできれば若い女性と決まっていたようです。
フランスでも、ブドウ酒を作る時にブドウを踏みつぶすのも若い女性だったようですから、酒は飲みたくても、やっぱイメージは気にしたのでしょう。
実際のところはどうだったか分かりませんが、神に捧げる特別な酒などは、酒造りそのものが儀式として行われていました。
そのうち、残飯をそのままにしておくと、いろいろなカビが生えてきますが、水を入れておくと、たまに酒になったりすることが分かってきました。
「播磨風土記」(七十三年)には、「大神の御粮、枯れて黴生えき。即ち酒を醸さしめて庭酒に献りて宴しき」とあります。
つまり、神様に稲をお供えしておいたら、カビが生えてきたので、それで酒を造ったのだそうです。
いくつもの偶然が重なった貴重な発見です。
人の知恵は、残飯に生えるカビから糀菌を探りあてます。
日本では弥生時代(一世紀)の終わりの頃と言われています。
中国大陸では、もっと古くから糀が使われていたようです。
特に韓民族は糀使いに長けていて、酒はもちろん、豆糀味噌のようなもの、つまり穀醤も作っていたようです。 三国志の時代には、醤の臭いを“高麗臭”と言ったほどだそうです。
日本に中国大陸の酒造りが伝えられたのは、古事記によると、5世紀、大和朝廷の応神天皇の頃で、百済の須須許理(すすこり)が技を献上しました。 須須許理は酒の神様として、京都の松尾神社に祭られています。
もっとも、中国大陸と日本は近く、ちょこちょこと交流がありましたから、何かと影響を受けていたでしょうね。
最初の頃の酒は、甘くて濃くて、酒粕も漉さないまま、ほとんど食べるように飲んでいました。甘酒をそのまま発酵させるとアルコールになってきますが、そんな感じだったようです。
万葉の時代には、漉して清酒にしたり、何度かに分けて仕込んだりと技術が進んでいきます。
糀は古事記では加無太知(カムタチ)の名前で登場し、カビタチからカムチと変化していきました。
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