変わらぬ手作業、手間をかけて 強い糀を育てる 天然自然の発酵食品 甘酒で健康に

糀研究室の記事

1.糀とは

糀は自然の中にある菌の一種です。
糀菌には、およそ50種類以上の酵素が含まれています。
でんぷんをブドウ糖にするアミラーゼや、タンパク質を分解するプロアテーゼです。

この酵素たちが米や大豆にくっついて、デンプン質、タンパク質、脂質などを分解し、さらに空中の乳酸菌をとりこみ、グルタミン酸などのアミノ酸、ビタミンなどを生成していくのです。

麹を使う調味料には、味噌、日本酒、醤油、ミリン、酢、水飴などがあります。
どれも日本の食卓に欠かせないものばかりです。
そう、麹は日本の食を担ってきた、日本の食そのものなんです。

糀が日本で使われるようになったのは、弥生時代の後期です。
米が栽培されるようになり、残飯についた糀菌に気づいたのが始まりです。

 


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2.発酵調味料の歴史

まずは、発酵調味料について簡単にみてみましょう。
味噌、醤油、ミリン、酢と、日常で使う調味料のほとんどは発酵させて作ります。

では、発酵させない調味料って何でしょう?
・・・と、思いつくのは塩くらいでしょうか。あと、砂糖とか。
ちなみに、ソース類も糀は使いませんが、やっぱり発酵してます。
もしも、発酵ができなかったら、食べ物は、塩と砂糖味しかないんですね。
考えただけでも悲しくなります。

さて、はるか昔の人類も、はじめは猿がジャガイモを海の水で洗うように、塩味しかなかったのでしょう。
そのうちに、あまった魚や肉を塩水や塩で漬けておくようになります。
塩漬けにしておくと、空中にある乳酸菌などが入り込んで発酵します。
そのまま放ったらかしておくと、魚の身や肉は分解されていき、液体が増えていきます。
この液体には、塩味にうま味が加わっていて、複雑な美味しさになっていたんですね。

もちろん、普通なら腐ってしまうことも多いでしょうから、気温や季節、場所、管理の状態によっては美味しい液体になると分かっていったのでしょう。

この発酵液体調味料は、世界のどこでも人の暮らしが始まると共に、作られていました。

日本よりも歴史の古い中国では「醤」と呼び、歴代2代目の王国となる周(紀元前700年頃)には、専門の職人がいたようです。
また、古代ローマでは「ガルム」と呼ばれる魚醤があったそうです。

日本でも魚醤が作られてきました。
現在でもハタハタで作る「しょっつる」は有名ですね。
強烈な匂いの大島のくさやも、内臓や骨を漬け込んで魚醤のようになった汁に漬け込んだものです。
東南アジアでは、タイの「ナムプラー」、ベトナムの「ニョクマム」など、各国、各地域で独自の魚醤を競っています。
ヨーロッパでは、イタリアのアンチョビなどは魚醤の一歩手前のようなものでしょう。

いずれも、独自の臭み、旨味とコク、塩味が混ざりあって、食べ物にたまらない風味をつけます。

さて、魚醤の製法が確立されてくると、ほかの物も漬けてみよう、となります。
そこで、大豆や雑穀、米も漬けてみることになります。
これが、味噌や醤油のご先祖様ですね。

野菜を漬けると塩漬けになりますが、これにアミの塩辛や、唐辛子などを入れるとキムチです。
アミの塩辛は、魚醤になる手前の段階です。
つまり、魚醤の技術を応用した、良質の乳酸菌漬物が、キムチといえるでしょう。
(キムチに唐辛子が入ったのは18世紀です)

が、それぞれ米のデンプン、タンパク質、脂肪を分解して、甘味のブドウ糖やオリゴ糖に、また旨味のアミノ酸に変えていきます。

こうして、人々は、“あまった物をいろいろ漬けてみると、保存になり、上手くいくと発酵してさらに美味しくなる”技を磨いていきます。

そして、糀が見い出されると、発酵文化はさらに進歩します。 

 


1.糀とは<<前へ     次へ>>3.米が酒になった! 糀の発見

酒は人の歴史が始まる前から存在した飲み物なんですよ。
糖分の多い果物は自然に発酵して酒になるからです。
人も果物がたくさん採れた時に、袋に入れておいたら、酒になっていた! なんてびっくり体験をしつつ、酒を覚えていったのでしょう。

前4000年のメソポタミアやエジプトでは既にビールを造っていたようです。
これは、麦の穂に水がつき、芽が出てしまったのをお粥にしておいたら、発酵してビールになったのが始まりなどと言われています。

酒は飲んで気分が良くなるだけでなく、病人の気つけ薬にもなり、殺菌作用もあります。
浄める意味と、飲んで陶酔感を得るために、宗教儀式にも使われてきました。

酒は糖分が酵母によってアルコールに分解されてできます。
だから、糖分の少ない木の実や果実からは酒ができませんでした。
しかし、考えたものです。口で嚼むと、だ液に含まれるデンプン分解酵素アミラーゼが、デンプン質をブドウ糖に変えてしまうのです。
これで酒になります。猿酒などとも言います。
ごくごく偶然に猿も酒を飲んだりするのでしょうね。 米作が始まると、米が一番美味しい酒になることも分かりました。

でも、口に入れてから出すのは、あまりイメージが良くないですね。
それで、嚼む人は女性、しかもできれば若い女性と決まっていたようです。
フランスでも、ブドウ酒を作る時にブドウを踏みつぶすのも若い女性だったようですから、酒は飲みたくても、やっぱイメージは気にしたのでしょう。

実際のところはどうだったか分かりませんが、神に捧げる特別な酒などは、酒造りそのものが儀式として行われていました。

そのうち、残飯をそのままにしておくと、いろいろなカビが生えてきますが、水を入れておくと、たまに酒になったりすることが分かってきました。
「播磨風土記」(七十三年)には、「大神の御粮、枯れて黴生えき。即ち酒を醸さしめて庭酒に献りて宴しき」とあります。
つまり、神様に稲をお供えしておいたら、カビが生えてきたので、それで酒を造ったのだそうです。

いくつもの偶然が重なった貴重な発見です。
人の知恵は、残飯に生えるカビから糀菌を探りあてます。
日本では弥生時代(一世紀)の終わりの頃と言われています。

中国大陸では、もっと古くから糀が使われていたようです。
特に韓民族は糀使いに長けていて、酒はもちろん、豆糀味噌のようなもの、つまり穀醤も作っていたようです。 三国志の時代には、醤の臭いを“高麗臭”と言ったほどだそうです。

日本に中国大陸の酒造りが伝えられたのは、古事記によると、5世紀、大和朝廷の応神天皇の頃で、百済の須須許理(すすこり)が技を献上しました。 須須許理は酒の神様として、京都の松尾神社に祭られています。

もっとも、中国大陸と日本は近く、ちょこちょこと交流がありましたから、何かと影響を受けていたでしょうね。

最初の頃の酒は、甘くて濃くて、酒粕も漉さないまま、ほとんど食べるように飲んでいました。甘酒をそのまま発酵させるとアルコールになってきますが、そんな感じだったようです。

万葉の時代には、漉して清酒にしたり、何度かに分けて仕込んだりと技術が進んでいきます。

糀は古事記では加無太知(カムタチ)の名前で登場し、カビタチからカムチと変化していきました。

 


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中国大陸や朝鮮半島から発酵の技術を教わっていた日本人ですが、実は、糀菌だけは日本オリジナルです。

そもそも糀菌は東から東南アジアにしかいません。糀発酵物は、アジアだけの食文化なんですよ。

日本以外の国では、穀物の粉を水で練ってお餅の形にして、部屋に住みついている糀菌の力で発酵させます。この糀菌は「クモノスカビ」といい、タンパク質を分解する力があまりありません。
穀物も、米よりも麦やコウリャンなどの雑穀が使われます。

日本では、バラ糀(散麹型)を使い、米や大豆、麦をそのまま蒸して、糀をまぶします。バラ糀は、タンパク質の分解力が強いのです。

なぜ、日本にだけバラ糀が定着したのでしょう。
それは稲作と米食に関係があります。

稲穂には、稲糀菌が着くことがあります。バラ糀の一つで小さな黒い粒です。 稲糀菌を種にして、酒や糀を造ったこともあったようです。

また、日本で糀は蒸した米から発見されているように、最初から蒸した穀物で発酵させていました。
穀物を蒸すとタンパク質の一部が変性しますから、分解力の弱いクモノスカビより、バラ糀が元気に発酵していったのです。

自然の中に糀菌がいっぱいあったことも、バラ糀を優先させました。

日本人が米を育て、蒸した米を食べていたことが、日本だけにバラ糀菌ができた理由です。

中国大陸や朝鮮半島の影響を受けても、酒、味噌、醤油、酢など日本独自の発酵調味料が発達していったのは、バラ糀菌のおかげといえるでしょう。

糀は、アジアの、さらに日本オリジナルの大切な食文化なんですね。

 


3.米が酒になった! 糀の発見<<前へ 次へ>>4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル! 5.糀を一人占めして、税金も一人占め! 

飛鳥時代後期から奈良時代にかけて米の栽培が安定し、酒造りの技術が上がるにつれて、人が酒を飲む機会も増えてきました。
神様に捧げるもの、宮中で貴族だけが飲むものから、庶民も気軽に酒を造るようになったのです。

最初は、神の祭りの時だけ、それからや冠婚葬祭や、田植えなど共同で何かをした時の打ち上げで、と増えていき、そのうち何かにつけて、あるいは別に何もなくても飲むようになりました。
まさに酒飲みの言い訳ですが、飲みたくなってしまうもんなんですね。

もっとも、大切な米が酒になって消えてしまっては大変です。 朝廷は何度も禁酒令を出しましたが、あまり効果がなかったようです。

そこで、平安時代になると酒造は免許制になり、税金がかけられることになりました。
勝手に造っちゃいけなくて、買う時には一緒に税金も払うことになります。現在と同じです。
で、どこで造らせるか、となります。

当時、糀と酒を一番造っていたのは神社でした。神事用のお神酒がいりますから。
そこで糀は神社で造ることになりました。

また、酒蔵も出てきていました。酒造りの上手い人が近所にも頼まれているうちに専門職になったとか、そういう感じなんでしょうか。

神社は糀と酒を造り、また糀を酒蔵に売り、税金を収めました。
この独占販売できるところを「麹座」といいます。
京都の北野神社などでは味噌用、醤油用、甘酒用の糀も売り出して、大いに繁盛したそうです。
味噌や醤油だけでなく幅広く活躍する糀なのに、酒のせいで税金がかかってしまうなんて、迷惑といえば迷惑な話ですね。

もっとも、糀は上手に発酵させればどんどん増えますから、いつも糀を買う必要もありません。
それに、味噌用の糀でも酒が造れます。

だから、密造酒も多かっただろうし、酒屋も増えていきました。
鎌倉時代の1252(健長4年)には、武士が飲んでばかりいては戦にならないと「沽酒の禁」、つまり酒商禁止令が出されています。
一軒一軒立ち入り検査もあって、鎌倉中の酒壺が割られたそうですが、その数4万弱といわれるほど多かったそうです。

室町時代になると、再び酒屋が増えてきました。

また、糀菌を増やすのに木灰を使う方法もできました。
これは、糀菌が木灰に強い性質を利用したものです。お粥に糀菌を植えると、どんどん増えていきますが、ほかの雑菌も増えてしまうことがあります。
そこで木灰を使うと、雑菌は死んでしまい、強い糀菌だけが残るのです。

この方法は「麹座」の秘伝とされて、より質の良い麹菌は独占されることになります。

 


4.日本の糀菌は、日本オリジナル!<<前へ     次へ>>4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル! 6.糀をめぐって大騒動!

酒が日常的になるにつれ、以前から「麹座」による糀の独占を良く思っていなかった人たちの我慢は限界に達していました。

酒蔵と寺院です。両者とも「麹座」から糀をわざわざ買って、酒を造っていました。
すでに糀と蒸し米、水を2、3回に分けて仕込む段仕込みや、木炭のろ過も行われていたようです。
職人の気質としては、もっと美味しい酒を造りたい。でも、肝心の糀は買うしかないのでは、腕が生かせない。
寺院にしてみれば、商売敵の神社から糀を買うのも面白くない。
酒の消費量が増えて、「麹座」の糀だけでは間に合わないこともしばしばでした。

それで、こっそり糀を造ったりするところもあり、「麹座」が訴えて摘発されることもありました。

両者の確執は高まり、ついに「麹座」が襲撃されるようになってしまったのです。
幕府が困って、糀独占の緩和策を考え始めたところ、今度は「麹座」が猛反発しました。
「麹座」は北野神社に結集して、幕府に反撃しました。
そうなっては仕方ないので、「麹座」は幕府によって制圧されます。

こうして「麹座」制度はなくなり、酒蔵も寺院も堂々と糀から酒を造るようになりました。
酒と糀の技術は、各地、各蔵で競い合うように向上していきます。

江戸時代には、フランスの細菌学者パスツールが低温殺菌法を発見する前に、火入れと、アルコール(焼酎)添加まで行われていたのです。
酒に対する情熱ってすごいですね。

酒造技術の発達とともに、味噌、醤油、酢、みりんなどの発酵調味料も広まり、全ての元である糀の研究も進みました。
糀は、それぞれの目的に合った糀に分けられていきます。

あらめて糀発酵の専門である「種糀屋」もでき、また、味噌、醤油、酢、みりんも専門職、独自の蔵ができあがっていくのです。

小池糀店では、お味噌用の種糀を京都から取り寄せています。米と相性が良くて、白くきれいに発酵してくれます。

一般的に、味噌用にはタンパク質をよく分解する種を、酒用にはあまり分解しない種ものが選ばれます。
タンパク質が分解するとアミノ酸になりますが、酒の場合、アミノ酸が多いとコクが増し、雑味も出やすいからです。アミノ酸が少ないと、流行りの淡麗になります。

 


5.糀を一人占めして、税金も一人占め! <<前へ 次へ>>4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル!4.日本の糀菌は、日本オリジナル! 7.高機能食品としても様々な分野へ  

小池糀店が創業したのは、明治12年です。小池は下っ端の侍だったそうで、つまり明治になって失業したから糀屋を始めたわけですね。
最初は糀を売る方が多かったでしょうが、だんだんと味噌が売れるようになりました。
15年くらい前までは、米と交換で味噌や糀を売っていました。

昔に比べれば、食事のたびに味噌汁を飲む人は少なくなりましたが、糀の研究も進んでいます。
食品はもちろん、有機酸や抗生物質を培養するなど、化学分野で応用されています。

健康番組で紹介されたのをきっかけに、甘酒と糀そのものにも関心が集まっています。

日本オリジナルの糀発酵文化は、これからも様々な分野で、人の暮らしと健康をささえていくことでしょう。

 


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